米国で琉球國祭り太鼓普及活動に携わる勝子リーさんに関する新聞記事本日はわたしのブログでも紹介させていただきます。沖縄タイムス紙の記事コピーをお許しください。
**17日(土曜日)、アメリカ自然史博物館(ジャパンフェスタ)の沖縄舞踊と音楽舞台公演にペンシルベニアの琉球國祭り太鼓の若者たちが共演します。**
おきなわんディアスポラ県系人の今](14)エイサー人気が上昇
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(14時間0分前に更新) |
沖縄の伝統文化の中で米国での普及は空手が筆頭であるが、萌芽(ほうが)期にあり人気を得てきているのがエイサーである。伝統的なエイサーに空手のフォームを取り入れた琉球國祭り太鼓は県内、本土だけでなく、南米、北米、ハワイなどでも県系人を核にして普及している。米本国ではワシントンDC、ロサンゼルス(カリフォルニア州)、ヒューストン(テキサス州)、ジャクソンビル(ノースカロライナ州)などに支部があり(参考・琉球國祭り太鼓ホームページ)そのダイナミックなパフォーマンスが一般のアメリカ人にも好評を得ている。
メリーランド州に住む勝子・久高・リーさん(76)=那覇市出身=は米国で國祭り太鼓を紹介した先駆者の一人である。50年近く米国に住み42年間公立学校で数学を教えてきた勝子さんは、退職を前に沖縄の文化をここで普及することに残りの人生を懸けようと決めていた。その目的のために沖米文化協会を組織した。文化の何を広めるのか、そのテーマ探しを兼ねて1994年沖縄を訪れた時に、首里城祭で見た國祭り太鼓に「今まで出会ったことのない衝撃を受けた。太鼓の音一つ一つが私の身体の全体を揺さぶるような感動」だった。「これだ!」と感じた勝子さん、これなら世代や言語、文化を超えて米国で普及できると直感したという。
さっそく國祭り太鼓の本部を訪ね、米国での支部結成の許可を得た。また、米国で琉球國祭り太鼓が演舞をする際の受け入れの窓口など調整役を引き受けた。勝子さんは普及の拠点として空手道場を使うことを決め、練習の場の提供と國祭り太鼓を紹介したい旨申し入れ、米国内の15の道場がそれを了解した。翌年には沖縄本部が3人の指導者を派遣。これら指導者がカリフォルニア、カンザス、ペンシルベニア、ニューヨークなどの州を訪れエイサーを披露した。同年に自費で20台あまりの太鼓を沖縄から購入し、演舞には現在でもその太鼓を活用している。
1995年のワシントンDCの桜祭りには、沖縄からの20人のメンバーと米国地元からの演舞者も含め70人余りがワシントンDCの目抜き通りをパレードし、同年9月にはニューヨークのカーネギーホールでの公演も実現、2800人の観衆を魅了した。2000年には琉球國祭り太鼓USAを組織し、勝子さんがその会長に就任した。会員はメリーランド、ペンシルベニア、ウィスコンシン州などにまたがり、それぞれの地域の空手道場で練習を続けている。毎年春のワシントンDC桜祭りパレードに出演している。
勝子さんが渡米したのは1961年。修士、博士課程全てを米国政府の奨学金で修了した。「生涯を公教育に打ち込み、アメリカへのご恩返しは終わった」と振り返る。電気技師の夫のベンジャミンさんとの間に2男。長男のスティーブンさんが医師、次男のアレンさんは弁護士とそれぞれの道を歩み、孫が6人。「子育ての義務からも解放され、今後は沖縄の文化をアメリカで広めることに取り組みたい」と意欲を語る。(クリッシー・悦子 アメリカ通信員)
【ディアスポラ】離散を意味するギリシャ語。故郷を離れて他の場所で築かれたコミュニティー
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